水戸地方裁判所 昭和38年(ワ)226号 判決 1966年7月20日
理由
(一) 原告がその主張の約束手形一通を所持していることは甲第一号証の記載及び存在によりこれを認めることができる。
(二) 原告は、右手形は被告が訴外柏江ち子を使者もしくは代理人として振出したものであると主張するので検討するのに、甲第一号証の被告名下の印影が被告の印鑑によつて顕出されたものであることは当事者間に争いがなく、この事実と証人清水幸子及び同柏江ち子の各証言を総合すると、右印鑑は被告が事実上経営を主宰していた水戸市大町常磐燃料株式会社の事務所において平素送り状の作成や郵便物の受付などの会社業務に用いるため机上に備え事務員に保管させていたものであるところ、同じ建物内の被告方住居に同居中の妻柏江ち子(同女が被告と夫婦であつたことは当事者間に争いがない)が昭和三八年五月二七日頃被告の不在中にこれを事務員より借り出し使用の上、被告名義の記名押印を施して同女と被告とを共同振出人とする本件手形を完成し、これを原告に対し交付したことが認められるが、当時右振出行為を被告が承認していたとの点に関し原告主張に副う証人柏江ち子の証言は未だ心証を惹くに充分でなく、ほかにこれを認めるに足る確証は見当らない、したがつて右振出につき訴外柏江ち子が被告の使者もしくは代理人であつたとの原告主張は理由がないものとすべきである。
(三) しかし、右各証言と証人菊池憲一郎の証言を綜合すると、訴外柏江ち子は昭和三七年五月五日より水戸市南町鶴屋二階においてレストラン兼喫茶店「フロツセル」を独力で開業したが、同年九月頃同店営業の資金繰りのため訴外菊池憲一郎の紹介で原告より金一〇〇万円を利息月三分の約定で借入れることとなつたところ、原告より同女だけの名前では貸すことはできないと言われたため、被告の承諾を得て前記印鑑とは別の被告実印を借受けた上、これを使用して同女と被告とを共同振出人とする額面一〇〇万円の約束手形を作成し、これを被告の印鑑証明書と共に原告方に持参差入れして金融を受けたこと、そしてその後同女は前記「フロツセル」の売上金より毎月金三万円宛を調達して原告に対する利息金の払込を続けるかたわら、数回に亘り本件と同様の方法で前記事務所より被告の印鑑を借り出し、これを使用して手形の書替を行ない、本件手形はその最後の書替手形として原告に対し差入れたものであることが認められる。
(四) 被告は、かねて妻江ち子との夫婦仲は風波が絶えず、前記「フロツセル」も同女が被告にかかわりなく単独で開店経営していたもので、本件手形振出当時夫婦間は破綻状態にあつたと主張する。
なるほど被告等夫婦の仲が従前必ずしも円満でなかつたことは証人村田喜代子の証言によつても窺い得るし、訴外江ち子が独力で前記「フロツセル」を開業したことも先に認定のとおりであるが、本件手形振出当時既に夫婦間が破綻の状態にあつたとの点に関する被告本人尋問の結果は後掲証拠に照らして未だ充分に措信しがたく、他にこの点を肯認すべき証拠はない。
かえつて証人柏江ち子及び同菊池憲一郎の証言ならびに被告本人の供述の一部を綜合すると、被告等夫婦が事実上離別し破綻状態に入つたのは昭和三八年七月二四日に前記「フロツセル」が火災により焼失し閉店して後のことであつて、その営業期間中は被告等夫婦は前記大町の被告方において同居を続けており、当初は「フロツセル」開店に好意的でなかつた被告もその開店後は頗繁に同店に出入して店の仕事も手伝い、前記手形の書替につき紹介者の訴外菊池憲一郎が三、四回に亘り訴外江ち子と同道して石岡市の原告方へ赴く際にも被告は「フロツセル」に居合せて同人等を送り迎えしたことがあつたことが認められるから、被告主張の頃から夫婦関係が悪化し隔絶するに至つていたものとは認めがたい。
(五) 前記(三)の認定事実によれば、当初訴外江ち子が原告より金額を受けるに際して振出交付した約束手形については被告は同女に対し振出行為の代行権限を与えたものと見るべきであつて振出の責任を免れ得たいものであるところ、その後における手形書替の経過に鑑みると本件当時同女が無権限であつたにせよ原告において依然同女が代行権限を有していたものと信ずるも無理からぬ事情にあつたものとすべく、したがつて原告がかく信ずるについて正当な事由が存したものと認めるを相当とするから、被告は表見代理上の本人として本件手形につき振出の責任を負わなければならないこと明らかである。
(六) よつて被告に対し本件手形金一〇〇万円の支払を求める原告の請求を正当として認容する。